お彼岸に思う・・・

matsusaku2012-09-21






お彼岸なので当家菩提寺と浜松の鴨江寺にお参りしてきましたひみつ
拝殿では、多くの人がお線香やロウソクをあげていました。

奥の本堂には、
ご本尊の聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)がお祀りされていますが
この横にはもう二体・・・

善光寺如来聖徳太子像もお祀りされています。

その一体が、なぜ善光寺如来なのか?
これにはちょっとした逸話があるんです。

それは、戦国時代・・・
川中島の合戦善光寺の焼失を危惧した武田信玄が、
甲斐の地に甲斐善光寺を建立し善光寺如来遷座したことに始まります。

信玄が没し、信長が天下を取ると
信長は岐阜善光寺を建立し、甲斐より善光寺如来遷座しました。

本能寺の変で信長が没すると、
次男織田信雄尾張甚目寺(じもくじ)に善光寺如来を移します。

その後、信長と同盟関係にあった
天下を取る前の徳川家康に託され、
天正11年(1583年)に遠州浜松の鴨江寺にお迎えしたということです。

それ以来、14年間鴨江寺にお祀りされていましたが・・・

伏見大地震により京都方広寺の大仏が崩壊したため、
「崩壊する大仏に、民衆など救えるか」
と激怒した豊臣秀吉が、善光寺如来を本尊とし方広寺に移しました。

しかし、秀吉はそのころから体調を壊しはじめます。
また、夢枕に「私は信濃に帰りたい・・・」と善光寺如来が立ったことから、
善光寺に戻すようにと再び家康に託したのでした。

そして、慶長3年8月17日、善光寺如来
家康の援助により再建されていた信濃善光寺にお帰りになったのです
ニコニコ
実に、41年ぶりのことでした。

奇しくもこの1日前、
慶長3年8月16日に豊臣秀吉は没していますびっくり

天下を取っても 命を取られたら 元も子もありません。

先祖や神仏など目に見えない物に敬意をもつこと、
生かされていることに感謝することが大事なんだなぁ・・
と思ったお彼岸の一日でしたひみつ