近江の旅の続き・・・7月17日
朝10時にエクシブ琵琶湖を出て、彦根から名神高速に乗り竜王インターで降りて信楽方面へ。




途中、 「国宝 善水寺という道路案内の看板が見えたので、
んじゃ行ってみようということで、いざ善水寺へナビをセット。


善水寺(湖南三山のひとつ天台宗名刹

駐車場へ車を止めると、雨もほとんど上がっていた。今日は北陸方面など土砂降りの集中豪雨で結構被害が出ているらしい。京都の祇園祭も雨の中を決行したとテレビでやっていた。


受付には人がいなかったのでインターホンを押すと、本堂から住職の奥様らしき人がこちらへどうぞと言っている。
本堂に上がり拝観料500円と御朱印代300円を払った。

「少しお待ちください。」
ということで待っていると住職が現れた。
「それでは今から善水寺のご説明をいたします。」
と丁寧な対応。
「まずは、ご本尊ですが厨子の中で見えませんが、平安時代につくられ重要文化財に指定されている薬師如来さまです。薬師三尊というと普通は両脇に日光菩薩月光菩薩さまですが、古い形の天台密教では、両脇に帝釈天梵天。その下にこれもまた平安時代作の四天王*1またその下に十二神将*2が安置されています。」

ということだった。現在この形式での安置はものすごく珍しいということだ。



本堂内ご本尊の裏側の部屋には、近隣のお寺で焼き討ちなどの災難を逃れたという仏像が数体安置されていた。
その中でも珍しかったのが、平安時代につくられ明治37年国宝指定、現在重要文化財指定の
「僧形文殊菩薩像」
通常文殊菩薩は、獅子に乗る菩薩形で現されるが、この尊像は僧侶の姿である。

通常文殊菩薩は、獅子に乗る菩薩形で現されるが、この尊像は僧侶の姿である。
住職の説明では、なぜ文殊菩薩像と判ったかというと、左手の袖の部分が寄木でそこをはずしてみると獅子の絵が描かれていたからだそうだ。
獅子といえば文殊菩薩。象といえば普賢菩薩である。
かつて、比叡山では根本中堂をはじめ、諸堂それぞれに奉安されていたことからも、天台宗としては大変重要な意味があるが、現在伝えられている僧形文殊像は極端に少なく、県内では唯一、国指定の尊像は、全国でも当山像を含め三例のみである。ということだ。



またここには、高さ約30cmくらいの「銅造阿弥陀如来」も安置されていた。
住職の説明によると、昔このくらいの大きさの善光寺如来を背負った僧侶が全国を廻って、仏教の布教活動をしたということだ。
その結果、全国には443の善光寺如来分身仏があると言われ、「善光寺」を正式な寺名とする寺院は119ヵ寺を数えるということだ。こうした調査がご縁になって、平成5年11月に善光寺サミットが開催され、善光寺信仰を後世に伝えようとする寺社の集いとして、「全国善光寺会」が設立さた。善水寺もそのその一寺だ。




その後、外に出て善水寺ゆかりのご利益のあるという沸き水を、少しばかりの志を出して汲んできた。

  



12に頃になってしまったので、急いで信楽方面へと車を走らせた。
途中、たぬき村というところでうどんを食べたが、醤油たっぷりでめちゃめちゃしょっぱかった。そそくさと店を出て信楽駅前へ。


信楽陶芸の森の近くにあるみやげ物店へ車を止めた。
ここでは、最近集めているフクロウの置物(今回買ったのはこれ↓)を買った。
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時間も迫っていたので、次なる目的地伊賀上野へ。

4時頃着いて、伊賀上野城公園内の伊賀流忍者博物館へいった。
5時までということなので、15人くらい集まった時点ですぐに「くのいち」の姿をした案内係のお姉さんが説明を始めた。
忍者屋敷・忍者博物館と見たがそれなりに面白く、人も結構沢山来ていた。
ただ、時間が遅かったので忍者ショーが見れなかったのが残念だった。
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伊賀は、豆腐田楽が名物ということなので、大和屋という店で豆腐田楽500円とそばを食べた。
田楽は山椒味噌が効いていて結構美味しかった。




そして、浜松に帰るべく国道25号線を走り亀山インターチェンジから東名阪自動車道にのった。
途中、以前寄ったことのある刈谷のハイウエーオアシスの「かきつばたの湯」という日帰り温泉に浸かってきた。

前回行ったときと男湯・女湯が入れ替わっていたので、他の風呂を楽しむことが出来た。
[rakuten:book:11911665:detail]

*1:佛教では帝釈天梵天と共に法の護法神として登場する。
歴史は元来はインドに於ける方位の守護神として信仰されていた神であり、古くBC二世紀頃にはパールハットに存在している、四天王は釈迦の説法を聞き佛教に帰依し釈迦から入滅後に法を守護するよう託された。

須弥山の頂上の宮殿に住む帝釈天の部下として自身も多数の配下を従えて四方の門を守っている。
東門・持国天・ドリュタラ―シュトラ・提頭頼叱(だいずらたの訳)  
南門・増長天・ビルーダカ・毘楼勒又(びるろくしゃ)の訳)  
西門・広目天・ビルーパークシャ・毘楼博又・びるはくしゃの訳)  
北門・多門天(ビャイシュラバァナ・毘沙門)という役割である。。

*2:十二神将は翻訳により色々とバリエーションがあります。この十二神将は言い伝えによれば、時を表す十二支に対応していて、一日を約2時間ずつ交替で守護しているのだといいます。

一般的に、十二の時間、十二の日、十二の月を交互に休みなく守護するとされています。さらに、薬師如来の分身であるという説もあります。また、本地垂迹(ほんじすいじゃく。衆生の救済のために現れた神々は、すべて仏や菩薩が姿を変えて現れたものとする考え)の説によれば、十二神将もまた他の仏・菩薩の化身とされます。「覚禅鈔」に書かれている、最も有力な「一行阿闍梨詮集」の説を挙げておきます。「月将」とは、陰陽道で用いられる十二月将(精霊。日月が相会する時、ところをあらわしているようです。

    名称   十二支   月将    本地仏
1   金毘羅    亥    微明    弥勒
2   和耆羅    戌    阿魁    得大勢(勢至)
3   彌伽羅    酉    従魁    阿弥陀
4   安陀羅    申    傳迭    摩利支天
5   摩尼羅    未    小吉    観音
6   宗藍羅    午    勝先    虚空蔵
7   因特羅    巳    太一    地蔵
8   婆耶羅    辰    天岡    文殊
9   摩休羅    卯    大衡    薬師
10  真陀羅    寅    功曹    普賢
11  照頭羅    丑   大吉    金剛手
12  毘伽羅    子    神后    釈迦(または陀羅尼)

なお、この十二神将の筆頭の宮毘羅大将は一般には「金比羅(こんぴら)様」の名前で親しまれています。全国の金比羅様の中核は四国の象頭山金比羅大権現・金刀比羅宮です。

十二神将の役割は、薬師如来を説く経典を読む者、信ずる者を護り、薬師如来の十二の大願を守護することです。薬師如来十二の大願とは東方にあるという浄瑠璃世界に住む薬師如来が、過去において菩薩として修行していた時に、衆生を済度するために起こした十二の願のことです。

お釈迦様が薬師如来について説教したところ、それを聞いていた十二人の薬叉神将が感動して仏法へ帰依し、おのおの7千人の眷属とともに薬師如来と信者の加護を誓った

十二神将の解説 元々は 十二神将十二夜叉大将ともいい、それぞれ七千、総計8万4千の眷属夜叉を率いて薬師如来を信仰するものを守る武神。経典 経典は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に薬師如来の名号を唱える者を守護すると約束されている。

十二神将の形 武器を持った甲冑姿。持ち物、十二支、お姿は必ずしも一定していない。と頭上に十二支の動物を乗せる。薬師三尊を囲んで八方方位と十二支に配される。