遠江国一宮事任八幡宮に行って来ました。
6月4日の日曜日、昨日もいつもの週末のごとく夜遅くまで御神酒(おみき)を飲みすぎたので朝10時頃起きた。
今日は、紫陽花で有名な牧の原市(旧相良町)にある大鍾家に行こうと思い車を走らせた。
途中、携帯電話が壊れていたのでドコモショップに寄り無償で新しいものと交換してもらっい、腹ごしらえとしてスパゲッティーで御用達のスパ1世で食事した。(余談)
◆ふくで漁港まつり
国道150号線を一路走って、天竜川を越え大田川越え磐田市福田町へ・・・。
なぜか車が急に増えてきた。道端の看板を見ると『ふくで漁港まつり』。
んじゃまぁ寄って行こうかと、右折し福田漁港へ。
しらすや鮮魚、地場産品の直売。ジュビロ磐田の選手のトークショー。海上保安庁の巡視船「あしたか」の乗船体験など、盛り沢山のイベントと人で賑わっていた。
新聞によると昨年は1万5千人だったのが、今年は3万人を超える人が訪れたらしい。
生シラスや釜揚げシラスは、なんと昨年の7倍の4千パックが売れたんだって。
ということで、当方もご多分に漏れず昨日水揚げされたばかりというシラス煮干を一袋購入。
◆大鐘家のあじさい
福田港に寄っていたらだいぶ遅くなってしまったが、ナビを頼りに相良町の大鐘家へ。
3時に到着。駐車場には数台の乗用車と観光バス。
近くに自生している紫陽花を見るとまだ、2分咲きくらい・・・。
駐車場のおじさんに聞くと、やはり満開になる見ごろはあと2週間くらいしてかららしい。
ということで、即決
「今日は見合わせてて、2週間後くらいにまた来ます。」
牧の原台地を西進して登り、茶畑の中を30分くらい走り、次の目的地事任八幡宮へ。
◆事任八幡宮
所在地:〒436-0004静岡県掛川市八坂642
境内の脇に車をとめ、大楠の横の御由緒の立て札を読み、手水舎で清めてから、お参りした。事任八幡宮の御由緒はこちら*1
本殿の左横(西側)には、五社神社*2と、神事を行う白い砂を盛った八角形の敷地が、またその横には金毘羅神社と稲荷神社が祀ってあった。そのほとんど丸に近い八角形の敷地の脇には、石で作ったウサギの彫刻が置かれてあった。
旧暦8月15日の満月の夜にここで神事を行うというから、きっとこの場所を月に見立てているのかなと思った。
インターネットで調べていたらこの神事を行う場所に、僕の住んでいる浜松の古橋竹材店という竹屋さんが月華波動竹炭というパワーのある竹炭を2年前くらいに埋設したということだ。
その記事についてはこちら。
僕の住んでいる浜松市中区利町にも五社神社がある。
今は消失したので立て替えられたが、大正三年国宝建造物に指定された本殿があった。
そして、右側には東の宮様として親しまれている御神木の大杉があり、かなりの古木であるのにも係わらずみずみずしく溢れる生命力と凛とした存在感とパワーを感じた。
生育地 掛川市八坂 事任八幡宮
指定 市指定天然記念物
樹種 スギ(すぎ科)
幹周囲 6.3m
樹高 36.5m
◆お茶ご馳走様でした。
お参りしていると、境内を歩いていた宮司の奥様らしき人から「お茶でもいかがですか。」
と声をかけられ、お宅に上がらせていただいた。
ご自宅の建物は100年以上の古いものらしいが、手入れが行き届いていて落ち着いていて清清しい感じがした。
お茶をいただきながら奥様はいろいろと話を聞かせてくれた。
「遠州にはなぜ一宮が2つあるのですか。」と聞くと、
「もうひとつの一宮の小国神社には、戦乱の時期もともとの御祭神 己等乃麻知媛命(ことのまちのみこと)を一時預け守っていた。」
ということ。武家社会だったので、武勇の神の八幡様なら乱世でも攻められる事はなかったので、誉田別命(ほんだわけのみこと)をはじめとする三柱の八幡大神をお祀りしたのだそうだ。
誉田別命は、第十五代応神天皇。ちなみに、こちらの宮司さんの苗字も「誉田」だった。
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奥様談:
「今は、経営がうまく大きくなる神社は多いけど、守っていくのはなかなか大変ですよ。
宮司をよそから招くところもあるが、当社は代々世襲で続いていますから。
江戸時代は徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築、朱印高百石余を献上されたこともあるが、時代は変わり今は氏子300軒余りなんです。
お神輿を改修する寄付を募るのも大変だが、氏子の人たちが協力してくれるから出来るんですよ。」
と言っていた。
自分の住んでいる町には、氏神様の松尾神社があるが、正一位として歴史はあるが現在はあまり隆盛とはいえず、しかし、どうか守っていきたいと思いながら話を聞いていた。
奥様談:
「それでも、今日は観光バスが2台来てお参りして行きましたよ。」
聞くと、最近はお参りに来る人も増え、事任八幡宮には直系の跡継ぎもいるということだ。
最近は時代の変わるスピードが早いが、1,000年近く続く、いや続けるということはすごいことだ。
やはり、長く続くということは皆から信頼される『本物』だからなのだろう。
『地球にやさしい!』なんてわざわざ謳わなくても、昔から続いているものは地球に優しいんだと思う。
建築にしても、木造の耐用年数・減価償却が20年〜30年とかいうけど、法隆寺の五重の塔みたく1,000年近くももっているものがある。
「今はこれが儲かる」「これからはこれが流行る」と一時隆盛を極めてもだめになるもの沢山ある。
それが悪いとは思わないけど、これなら長く続くだろう、100年後もいけるだろう、なんて考えて物事を始めるのもいいんじゃないかなと思った。
帰りに事任八幡宮崇敬会編集の冊子をいただき、今年から始めた朱印帖に御朱印もいただいてきた。
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*1:鳥居脇の由緒案内によれば、大同二年(807)坂上田村麻呂東征の際、本宮山の旧社地から移転再建したと伝えられ、武家社会となって八幡宮信仰が栄えると、康平五年(1062)源頼義が石清水八幡宮を当社に勧請して事任神社が八幡宮を併称するようになったという。
【御祭神】
●己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと)
言霊の神・興台産命(こととむすびのみこと)の后神でいらっしゃいます。言の葉で事をとり結ぶ働きをもたれる神、言の葉を通して世の人々に加護を賜う「ことよさし」(任事神代紀下)の神として広く人々にうやまわれています。春日大社にお祭りされている天児屋根命(あめのこやねのみこと)はその御子神と伝えられています。
●誉田別命(ほんだわけのみこと)
第十五代 応神天皇で神功皇后の御子供でいらっしゃいます。百済王の子・阿直伎や王仁を招き、日本に新たな文学や産業などの文化を招来させたすぐれたお方です。
●息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
第十四代 仲哀天皇の皇后さまで神功皇后とも申しあげます。当時国交を結んでいた朝鮮南部の任那より帰国してまもなく誉田別命を出産されました。兵乱がおさまると誉田別命を皇太子に立てて自ら摂政となられ、百歳の長寿を全うされました。
●玉依比売命(たまよりひめひめのみこと)
第一代神武天皇の母神さまで海神の大綿津見神(おおわたつのかみ)の娘神でいらっしゃいます。
※事任八幡宮ホームページ参照