秘境にあった!もうひとつの比叡山


飯田・伊那方面へドライブに行こうと、中央自動車道を園原I.C.で降りると・・・

信濃比叡方面は左こちら という看板が目に入った。

近そうなので寄っていこうと、5分ほどicon27走ると

写真の場所に到着しました。



ここは、信濃比叡広拯院(こうじょういん)

比叡山を名乗るのは、本家比叡山とここしかないそうです。


お寺の名前にある拯(じょう)という字は、当用漢字にはありませんが救うという意味だそうです。


天台宗の開祖最澄が、
旅人にとってあまりにも急な峠だった神坂峠(みさかとうげ)越えに便宜を図るため

この付近に作った避難救済小屋「広拯院」の名前からとったのだそうです。



写真の場所から3分くらいかけてicon26上に上ると、

まだ、新しい本堂と鐘突き堂などがありました。

鐘突き堂は一番高い場所にあり

そこから見ると、近くの山々の山頂が眼下に見えて、すばらしい景色でした。


ご住職が、

「よろしかったら突いてみてくださいね。」

と言ってくれたので、

お言葉に甘えておもいっきり

〜〜〜ん うぉ〜ん うぉ〜ん うぉ〜ん ・・・・

とすごい余韻icon08 


きっと、相当できの良い鐘なのだろう。



  
手水舎で手を洗っていると、
「本堂にお上がりになりませんか?」
と、ご住職に声をかけられ、せっかくだからと上がらせていただくことに・・・

「この新本堂は、4年前住民の浄財で建立されたばかりなのです。」
落慶法要のときは、同じ天台宗僧侶の瀬戸内寂聴さんをお招きして法話を行い、

また、平成19年4月には本堂を舞台にして人間国宝茂山千作氏による狂言もおこないました。」

その他、信濃比叡の歴史と経緯も丁寧にお話していただきました。


「では、御本尊薬師如来様の前にどうぞ。」
「お線香は、こちら不滅の法灯の火よりおつけください。」

「不滅の法灯?」

「はい。比叡山延暦寺最澄が1,200百年前に灯し、現在も燃え続けている不滅の法灯です。」
「そのともしびをここに分灯してあるのです。」

中をのぞくと、皿に満たされた油から糸が出ていて、その先に火が灯されていました
icon06お参りしたあと、『除災招福』と書かれたお札もいただいてきました。


「この菜種油は、消えないように私が朝と晩に継ぎ足しているのです。」
「よろしかったら、あちらの納骨堂のほうもお参りください。」


別棟の、こちらも真新しい納骨堂には、立派な千手観音立像がありました。


ここ信濃比叡では、毎朝11時より下記の内容で丁寧にお参りさせていただけるようです。