肴町の氏神様『松尾神社」について

先日のブログでも書いた、僕の住んでいる肴町氏神様『松尾神社』について。
毎年6月、今年は12日日曜日に、祭礼として神輿担ぎを行う。


まず、中央主祭神
大山咋神(おおやまぐいのかみ)*1
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)*2
白髭神(しらひげのかみ)別名:猿田彦神(さるたひこのかみ) *3





御相殿として、


東照大権現(とうしょうだいごんげん)*4

素盞嗚尊(すさのおのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと) *5
その他三祭神と天満宮である。


京都松尾大社の御祭神も大山咋神市杵島姫命である。
山の神(大山咋神)・航海の神(市杵島姫命)・道案内の神(猿田彦命)の三柱をお祀りし、東海道の要所遠江濱松(とうとうみはままつ)を守る神社としたのだろうか。



正一位*6である浜松市元魚町の松尾神社は、浜松の産神*7として信仰され、主神の大山咋神は、お酒の神様としても有名な京都の松尾大社の祭神でもある。



本社(ほんやしろ)は、浜松の旧社浜松神社として約1,250年前の和銅年間に祭られ、浜松城が出来てからは城内に祭られていた。
天正5年(1,577年)徳川家康浜松城の前身である曳馬城を改築するにあたり現在の地に移した。
その後歴代城主の崇拝厚く、城主が交代するごとに社頭に参拝し城下の平安を祈った。
慶応4年(1,868年)明治天皇が浜松にご一泊の時、御使用の茶碗を下賜(かし)された。


肴町の商人は昔、元魚町(もとうおちょう)に居たが、1,600年家康の命によりもう少しお城に近い今の位置に移転した。その時松尾神社は、そのまま移転させなかったので今でも肴町が筆頭氏子町となっている。
移転したとき名前を肴町(さかなまち)とし、元あった所を元魚町(もとうおちょう)とした。


其の頃の肴町は、家康により天竜川河口の掛塚湊から浜名湖のある舞阪港までの専売権を与えられていた。
昭和初期には、魚市場として賑わい、上野のアメ横くらい活気があった。

*1:大山咋神(おおやまぐいのかみ)の咋は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ、山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護し給う御神徳は広大無辺といわれる

*2:須佐之男命(すさのおのみこと)から生まれた宗像三神(むなかたさんじん)の一神。厳島神社の神としても知られ、航海安全のご利益がある。

*3:天孫降臨のとき天照大神の使いで来た邇邇芸命(ににぎのみこと)を案内した神。道祖神・交通安全・方位除けの神でもある

*4:徳川家康のこと。天海の唱えた山王一実神道の、仮(人間)・空(仏)・中(神)の三諦の教えにより、人間・家康は一度死んで、まず久能山で仏=薬師如来となり、1年後、日光で東照大権現という神になり、徳川300年の歴史を守護神として、じっと見守っていくということである。

*5:大国様(だいこくさま)として知られ、縁結び・開運招福・夫婦円満などにご利益がある。ちなみに大黒様はインドの神様。

*6:しょういちい:明治以前、神社に与えられた最高位の神位。

*7:うぶすながみ:生まれた土地の守り神。